ボンヌママン マロンクリーム
栗きんとんトーストのよう。
マロンか?というと微妙ではあるものの。似たような食感でずんだあんバターってのも売られているんだが、それに比べるとマロンさというか、素朴さを感じる。どちらもトーストに塗ってしっかり焼くと、こんもり焼き上がって美味い。ジャムほどアチアチにならないから火傷しない、でもほどよく甘い。
ちなみに冒頭の「栗きんとんトースト」、正月明けに処分セールされる栗きんとんを買ってきて作るととてもお得で美味いのでお勧め。というか普段から栗がごろっと入った栗きんとんジャムとか欲しい。保存期間が短いとか難しいのかなあ。もしくはお高い店では売られてるのかもしれない。
『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』ダニエル・ソカッチ
自分の生まれる「ちょっと前」って一番知らないよなっていう。
ユダヤ人たちが「自分たちが安全に暮らせる場所」を求めてイスラエルという国を建て、住んでいた家を突如奪われ被差別民にされたパレスチナ人は「自分たちが安全に暮らせる場所」を取り戻すために戦っている。順を追って丁寧に、どちらの勢力にも肩入れし過ぎず起こった出来事を説明していて、歴史の解説本として良書だった。途中でこの単語何だっけ?というときにも巻末の用語集がついていて親切。おかげで取り残されずに読み切れた。
古い時代からユダヤ人たちは差別を受け続け、第二次世界大戦時に大量虐殺が起こったときにも助けようとする国は一つもなかった。イスラエル国は、ようやく得られた「ユダヤ人が安全に生きられる場所」だった。だからこそ、この国が脅かされれば今度こそ根絶やしにされる、みたいな恐怖心がどこかユダヤ人にはあって、態度が頑なになりがちな人もいるんだろうか、というのを個人的に思った。その上、毒親に育てられた子は毒親になる、じゃないが、自分たちが受けた差別を同じ形で別の人間たちに繰り返しているというのも皮肉。ただし、これには「差別を無くして異教徒を参政させたら、数が多い異教徒の要望が多数決で通りやすくなり、ユダヤ教徒のための国ではなくなってしまう」とか民主政治の仕組みに関わる問題が絡んでいてまた一筋縄じゃない。
パレスチナ人、要は住んでいた土地を勝手にイスラエル国にされてしまった人たちの境遇もまた災難。そも元凶は西欧の国々がユダヤ人いじめをしていたせいでもあるのに、その西欧人たちは問題解決のために「お前らがユダヤ人に領土を割譲しろ」と勝手なことを言う。声を上げても撃ち殺される。暴力に訴えても撃ち殺される。いじめられているのは自分たちなのに、世界はみんないじめっ子の側についてこちらに指を差してくる。そんな無力感。
生きるか死ぬかの現実的な問題、国民や信徒としてのアイデンティティの問題。さらにその周りで、それぞれの思惑から、各派を非難したり支援したりする国々や宗教教派(ユダヤ人がイスラエルに完全に帰郷すれば、いずれ神の国へ通ずるとされる預言の世界が完成する!とか何つう狂った理由だよと思う理由で尋常じゃない献金してたりとか)。この本一冊で歴史教科書的な整理された知識がひと通り得られるので、ニュースで気になったりしてる人は是非。
…欲を言えば、この本はあくまでイスラエル史なので、パレスチナ人側とかアラブ側の政治状況についてももう少し知りたいなとは感じた。どうなんだろう、まだ混迷しててまとめる段階ではないだろうか。
個人的メモ:シオニズム盛んになる(1880年代)、イギリスの二枚舌外交(第一次世界大戦の1917年)、第二次世界大戦後、国連がパレスチナを二国分割する決定をしたために戦争になる(1947年)、イスラエル建国宣言(1948年)、第一次中東戦争(イスラエル建国後の1948年から停戦の49年、1947年からの戦争の後半戦)、第四次中東戦争(1972年、イスラエルvsエジプトとシリア、このときオイルショックが起きた)
『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』樋田毅
政りと祀りと祭りと、課せない責任。
早稲田大学の学生運動についてのノンフィクション。偶然に『イスラエル』と同時期に読むことになって、何というか、ちょっと前の時代の暴力に詳しくなったような。
1972年、早稲田大学を「革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)」が暴力で牛耳っていた―――は?なにをいうてはるの?大学を?教師は?教師は革マル派と癒着して、革マル派の自治を認めて資金提供もしていた―――ええ………
とまあ、現代っ子にはドラマかマンガの設定にしか思えないような信じがたい状態から始まる。大学の外はいたって平和な日常だが、構内ではいくつかの政治派閥が争い合っていて、中でも排他的で暴力的だったのが革マル派だったという。革マル派による追及の末に起こったリンチ殺人事件をきっかけに、政治派閥とは別に、一般学生が結集して革マル派を相手に暴力反対運動を始める。
ほんとにまあ…最後まで読んでみても、大学生の用いる暴力加減ってのがなかなか信じられない。幕末に政治方針の違いで内戦起きてたみたいなもんか、とも思うが、わざわざ学校で。いや派閥争いとか弱い者いじめ程度なら閉鎖空間のほうが起こるか、でも角材に鉄パイプ。しかも軍隊さながらの歩兵戦陣形指揮官つき。そういう実戦指導のできる大人が学生の背後にいたんだろうが。…こういう暴力沙汰があまりに脅威だったからこそ、現代の子どもはこうも牙を抜かれに抜かれまくってるんだろうか。それとも、自分の周りが幸運にも恵まれた穏健な人たちばかりだっただけ?ちなみに1970年代ってどんなだろうと思ったら、仮面ライダーV3とかゴレンジャーの時代だとか。それもマジか。バブリーですらない時代かまだ。
それから、本の最後のほうにある、当時の暴力行使者側との対談。それまで暴力被害者側の言い分をたっぷり読んできた後に読むと、確かに「被害者を軽んじた責任逃れ」に思える話しぶり。一方で、「謝罪や反省の言葉を述べたところで何になる?後付けの言い訳やパフォーマンスでしかないじゃないか」と言われると、それもそう。言わせたからといって人の気が済むかどうか、それだけの問題。正直、学生運動の記述も面白いには面白かったが、最後の対談の「責任問題」が自分にとっては印象深かった。
鈴木千裕選手
ガンガンいこうぜ。
キックボクサーで総合格闘技選手。自分がキックボクシングやるようになって、「やるなら好きな選手がいると良い」ということで色々と選手の試合動画を見ていたんだが、うーん強いて言えばなら名前挙げられるようになったが、この人!って人はいないかなあ…と長らく思っていた。そんな時期にたまたま試合動画を見て、すげえええ!と感動して、以来追っている選手。(もともと総合格闘技でデビューして、キック選手やって、もっかい総合格闘技に挑戦、という経緯らしい。自分が追ってるのはキックから)
試合開始とともに豪快なパンチラッシュで電撃戦を仕掛けるスタイル。単純明快で迫力満点。そんな豪快さがウリなものの、総合格闘技の試合に出始めの頃はそれが仇になって、速攻で殴りかかったら逆に殴り返されて自分が電撃KOされてしまったり。しばらくは慎重な戦い方になってしまって、あのぶん回し乱打はもう見られないのかなあ、と寂しく思っていた。なんてのは杞憂で、強くなった彼はひと回りして戻ってきた。相手を殴り合いに引きずり込んで畳みかける戦略になって、あの無茶苦茶なラッシュが帰ってきた!というか総合格闘技になって、倒れた相手の上にかぶさって殴れるようになったら、路上のケンカ感というかなぶり殺し感がすごくなった!
「攻め時を待て、そして攻めるときは全力で攻めよ」というのを体現している人。無茶苦茶な殴り合いなら誰にも負けない、てのが格好良い。
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