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電子書籍が普及し、卑猥な物品を捨ててくような豪快な大人も少なくなった今、そろそろ「見つけたら幸せになれる」系の都市伝説に加えられててもおかしくないのではないだろうかPR -
Midland
抱かれたい汗ばんだ厚い胸。
良い雰囲気のカントリーミュージックバンド。スローテンポな曲がすごく郷愁感と色気があって好み。中でもBurn Outはしんみりできるリラックスソングだと思う。
ちょっと寂れた感じの酒絡みな歌詞センスもストライク。「どんな曲でも酒歌さ、飲んでるときにゃ」なんて酒が楽しくならないわけがない。
アップテンポな曲もこれはこれで。ホットパンツお姉さんの美尻のキワが最高。見えない。
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀・松村卓
身体の動かし方の新視点。
身体操作に興味があって、筋肉の事典を片手にこの手の本読んだりしてる。他の本が筋肉の重要性について語るのに対し、この対談本では「筋肉は生まれつき備わっているだけで十分。むしろトレーニングでがっちり固めたり、ストレッチでびろんびろんに伸ばしたりするのは逆効果」と主張しているのが特徴。「骨」というよりは、全身のつなげ方、骨格の使い方についての対談本。
紹介されていた骨ストレッチの中では、実は足首回しが一番効果を実感できた。片手で足首を支え、もう片手で足先を回す、よくあるストレッチ。だが、支えるほうの手は足首を手の平で掴むのではなく、くるぶしの出っ張りを指で軽く掴む。確かに、くるぶしの骨を掴む方が余計な皮が引っ張られていない感覚。動きの支点になる関節がブレないから足先が動かしやすい。
ただ、議論になっているのは肩周りや上半身がメインで、足腰はあまり触れられていなかったのが残念。そこは著者出版の骨ストレッチの本を新たにお買い求め下さいねってことか。
自分でも「骨格は積み木みたいなもの、積み木の周りに纏わりついている布が筋肉」と思っていて、積み木の積み方がバランスよければ布を引っ張らなくても倒れない、という理解をしていた。そのイメージに、「ある筋の脱力や緊張で他の筋がどう引っ張られるか」とか「変なところが力まないように抑えておくための重さ」(本では筋トレに大反対していたが、適度な運動は必要だろうし、適度な重りとしての筋肉の活用はあり得るんじゃないかなとか思う)とか、本を読んで新たにアイデアが加わったので、自分でも今後いろいろ試したい。
仏教がらみのエッセイ本
勝手に「みほとけモノ」って呼んでる。
気分が落ち込んでるときとか不安で沈んでるときとかに、仏教的な人物の書いたエッセイ本を読んでみると心が軽くなる、気がする。『納棺夫日記』とか『発心集』とか。死んで終わらせたいくらい心がやつれ切ってたのが、それじゃあ死ぬってどんなもんなんかねえ、と朗らかに談義しているうち、なんか一遍死んだような気になれて心が落ち着く、みたいな。これあれだ、旅行のプラン立てたら旅行行ってきた気分になって満足するやつ。そんな感じ。自分の「死にたい」はその程度でしかないから丁度いいのかも。真面目に書いてる著者たちに申し訳なさもなくはないが。
宗教として仏教を信奉したいわけではないものの、考え方というかスタンスとして好きだなあと。平たく言えば「この世はクソ、死ねばオサラバできる(はず)」って延々言ってる訳なんだが、同じ「この世はクソ」でも一般人に比して(というのか、出版の都合からなのか崇高な宗教の体だからなのか、まあさておき)言い方が穏やかで毒気の少ないとこが良い。
何より、「死にたい」って言ったら周りは基本的に聞き入れてくれるし、それで自殺を遂げたとして、自分も手伝った人も誰も罪に問われない世界観が良い。この辺りは物語を伝えるにあたっての選別脚色があるのかもしれないが、現代の「手足をもいで括りつけてでも死なせるな」みたいな鬼気は少なくとも感じない。ガッチガチの「自分の命はお上のもの」な世界観じゃないからこそ可能な部分もあるんだろうか。自分の命は自分のもの。自分の命の自己処分。わくわくしながら、どうしようかな~と考える自由さが好き。
…なお、そんな死生観なので時雨さんの前で「死にたい」とかこぼしたとしたら、「そっかあいいねえ、いってらっしゃい」とかうっかり送り出しかねないので、機嫌損ねたらすまん。
ブルボン バタースコッチサンド
再販、待ってました。
好きだったのに売り場から無くなっててしょんぼりしてたのが、最近また棚に復活してて、うれしみ。ほどよい甘さ、何でかラムネみたいにスーッとする気がするクリーム。…バタースコッチかって言われたら、どうなんだ…?いや美味しいから良し。 -
飲み過ぎに備えて頭痛薬を飲んでおけばなお快適☆ -
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いや価値観が違う人たちのことをガキ扱いして毛嫌いするの、人間として相応しくないんだろうとは知ってるんだがな…
そんで自分もまた人目にそう見えてるんだろうし、ほっといてくれよ…気に障るなら互いに関わらなきゃ良いじゃん、なんで寄ってくんの…坊やだからさ… -
万一体調崩したとしても自己責任ですしぃ、何なら一人暮らしならトイレ常時通い放題ですしぃ、いやあ良き。 -
戦士たちが敵のいるほうを向いて横広がりに並んでいて、それを上空から見ると線に見えるから「戦線」。
並んでいるのは戦うためで、戦う必要がないのなら戦線は現れない。
戦う必要があると思うから、何もなかったはずのところにも、こちらから線を作り出す。戦士を集め並べて、戦う意思を表明する。
…ていうのが人民戦線とか統一戦線とか「政治用語の戦線」の意味なんだろうか。敵がいないと思って図に乗んな、こちとらあんたらを潰しに行く用意はできてんじゃー!て死闘の雰囲気で派手にアピールするのが目的? -
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「単純拍子」「複合拍子」「変拍子」、3種類の拍子を理解しよう!
8拍の3+2+3とかいう変態リズム。
曲を作るときにリズムの取り方って今まで深く考えてこなかったが、ふとこう、リズム的にサイケデリックな曲作りてえなって。作るったって、譜読み譜書きははるか過去に挫折して、未だにドレミをなんとなく区切った箱の中に書く程度なんだが(作曲ソフトのサクラには以来長年お世話になってる)。それでもやっぱ拍子指定のやり方で手間取ったり、リズムの取り方になんか納得いかなかったりってな悩みを解消するには、基本を学ぶしかないと。
これでいける!とまではいかないものの、今なら楽譜見てちゃんと拍取れそうな気がする。8分の6拍子と4分の3拍子、こういうことか…!いや聞いただけだとまだ聞き分け自信ないんだが、ブルースかワルツかの違いと思えば良さそう。頭の中で流れてる「デンデデンデデンデデンデ」がブルースかどうか分からんが。
いや、多分ブルースじゃねえな…
ハッチポッチステーションのやらかしのテーマみたいなやつ(曲名不明)
自分では5拍子が得意というか作ってみるとわりと好きなんだが、7とか8のきもちわるさ(誉め言葉)には敵わない。何かメロディー降ってきたらやってみたい。
…で、これは一体どういうことなんだろうな…
14拍で大きくひとまとまりな気はするが、7拍で一小節にできるかといえば真ん中が中途半端、メロディー的には前半6の後半8できっちり分けられる…
何にせよまあ、こういうのも良いのよなあ。
Bhangra
エラヤッチャエラヤッチャ ヨイヨイヨイ…
バングラ。インドの北のほうの民謡が基らしい。この馴染みあるリズムって日本独特じゃなくて、結構アジアの色んなとこで使われるやつなんだろうかね。ノリノリ。
…そういやそうか、これのリズムも「デンデデンデ」だわ、速さは全然違うが。そう考えると、使う音階とか楽器に各地の特徴があるくらいで、わりとポピュラーなリズムの取り方なのか。
「具体的な『安全』は存在するのでしょうか?」安全を追求するJALの機長が語る驚きの事実と絶対安全に向けたJALの取り組みとは?
靍谷機長(以下「靍谷」):
言われてみると確かに具体的じゃない。安全って「危険・不快(が現れる心配)がないこと」って表現するのがしっくりくる。何かがあることが前提で、それがない状態が、安全。争いがなければ平和という語はそもそも存在しない、みたいな話で、危険がなければ安全なんてこと考えたり求めたりしないと。
ここで1つお尋ねしたいのですが、まず、「危険なもの」って想像がつきますか?飛行機に関わらず、身の回りのものであれば何でも結構です。
GIGAZINE(以下「G」):
そうですね、いろいろあると思うのですが……例えば刃物とか、事故だとか……場合によっては「人」が危険につながることもありますね。
靍谷:
そうですね、いろいろなものが思いつくと思うのですが、では逆に具体的な「安全」というのが何か、具体例を挙げることはできるでしょうか?
……こう尋ねられてハッと気がついたGIGAZINE編集部員。確かに「危ないもの」は簡単に頭に浮かぶのですが、いざ「安全なもの」といわれてみると驚くほど何も思いつきません。自動車や電車、普段使っている道具、電気、ガスコンロなど、たとえ「安全」とされていても、そこには何らかの割合で必ず「危険」が隣り合わせで存在しているように思えてきました。
G:
いや、何も思いつかないですね……強いていえば、「危険なものがない状態」ということになるでしょうか?
靍谷:
そうなんです、いま思われたように、実は「安全」といえる具体的なものはないのです。危険には具体的なものがあります。しかし、安全に具体的なものはなく、「ある状態にあること」を安全である、と呼んでいるのです。
そして、安全は「追い続ける」ことで近づくことができるものであり、「これでもう安全だ」と思った瞬間に安全ではなくなる。ほっと気が抜けた瞬間にほころびができたり、追うのを止めたら絶えず変化している周囲環境とズレが生じたり。完全な安全とは実現不可能なのかもしれない。
個人の日常の、ほんの些細な事柄なら、危険を危険と思わないようにするとか不安を克服するとか、「見て見ぬふり」「安全じゃないものを気にしないようにする」手だてで安全を求めることもできる。でも、他人の命を預かるような仕事で「大丈夫ですからね~気にしないでくださいね~」は通用しない。それどころか、ちょっとでも安全でない事態が人目についたが最後、非常に大きな責任を課されて追及される。そう考えると殊勝というか、志は立派でも報われない努力だなあ…
…実はこの記事を初めて読んだのって三年前だったんだが、この記事でもヒューマンエラーの衝突事故について触れられているのを見ると、今年の衝突事故のこともあって、どこかやるせない気持ち。追い続けていてもなお難しい、安全。
どん兵衛×FINAL FANTASY VII REBIRTH「片翼のどんぎつね 篇」
どん…どん……いい子だ…