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「友人と敵の命なら、友人の命が助かった方が喜ばしいだろう」
「敵が生きて友人が死ねばよかった、自分はこの手でその敵を討てと命じられている」
「命に従い武人となって、その先はどう生きるの、友はなく敵のみで」
「武人とは死ぬもの、つまり生きてゆきはしないということだ」PR -
赤子はどうあがいても「初手 無力無能」
→何十年経ち成長しようと、親や年長者のその子への印象や認知は「無力無能」
生まれてからの最初の十年以上を、知能的にも身体的にも劣った存在として過ごす
「大人になっても子供扱い」というよりは「十数年以上無能だったんだから、お前はこの先も無能でしかないだろう」と思われている
「ここから有能になるんだったら、無能なお前のために必死に世話していた自分は何だったんだ?自分に面倒ごとをやらせるために、コケにするために、これまで敢えて無能のふりをしていたのか?」 -
もし間違いなら誰かが止める。止めないのなら、それは許された望みなのだ -
明日明後日の自分は同じ魂(人格)であるとは限らない。昨日や過去は知識としてあっても自分のものではないのかもしれない。
辛うじて連続性があるのは、ロット番号が連番であるということだけかもしれない。2022年3月5日を稼働した220305の人格は、この晩は越せずに明日には220306に代わる。このとき引き継ぐステータスもあるが、2022年3月6日以外の出来事は別のロット番号の経験、つまりは他人事である。この世の歴史の一部ではある、でもこの220306のものではない。
…毎日ロット番号が違うのだから、毎日違うコードネームがあっても面白いかもしれない。 -
宝物があって、眺めるだけじゃなくて、触れて存在を確かめたい気持ち
触れたら汚れてしまう、光が曇ってしまう、そうさせてしまった自分を憎む
「刀は飾るのも良いかもしれないが、私は実際に"手をかけたい"のだ。振るい方、手入れの仕方とその道具の揃え方、それらを覚えていくことも必要だ。扱って着いた疵や汚れというのも、自分と共にあった証であって、私には愛おしく思えるのだ」
「他の人が振るう方が鮮やかで、その方が良いとは思わないか」
「羨ましいとは思うが、それは自分のものではない、自分に縁のないものだ。自分の宝物であるならば、少しばかり汚れてしまうかもしれずとも、やはり、手をかけたい。そも、形あるものはいづれ壊れる。誰かに壊されたり盗まれもする」 -
例えばの話。戦いに臨まんとする若者がいるとする。己が弱みを捨て去り腹を決めるべく、母の遺した思い出の本を焼こうとする。
ここで、そんなことはよくない、止しなさいと、火の中に手を入れてまで本を取り出してくれた者がいたとしよう。この人の焼けた手を、有難がるべきであろうか?
傍目には善き人、正しい人であろう、しかし、その者は若者の決意を認めなかった人でもある。手を焼いてでも若者の真摯な思いを拒否し、挫こうとした人である。たとえ人が良かれと思った思いやりや励ましであったとしても、己の信念を断罪されたくはない、そう思うことは許されないものだろうか?
結局は、その者はその者のやりたい様に、若者もまた若者のやりたい様にするだけのことだろう。世の中がどちらにつくかは定かではない。 -
偽るからこそ完全。この世にないからこそ美しい。イデアのような美しさ。
ピュグマリオンにしてはだめだ。私が愛したのは名画、枠の中のひと。
この世にあってしまっては、物質に成り下がる。絶対的支配ではなくなる。 -
打ち首の父と、夜中そのさらし首をはたく度胸試しをしに来る息子
息子の成長を分かって心残りがなくなる父、祟りを止めて鎮まる -
薄水色の穏やかな川を泳ぐ 稚魚のようなトンボが二匹
開けた深い水 ゆがまぬ空をすいすいと進んでいく
時折つと止まり 腹の筋模様までもくっきり見せては
楽し気に 誘うようにして
目の前を右へ左へ 互いを追って またこちらを振り返る -
E子は逃げた。「傘を貸してあげよう」と駆け寄ってきた大熊から、毒蛇から、蠅から。
E子は小柄だが蠅よりは大きい。けれどもその羽音が怖かった。
一見、どこにでもいるごく普通の人。けれどもE子はこれまで熊にも蠅にも追われた。これもいつ恐ろしいものに変化するか知れたものではない。
イケメンの大富豪!E子はなびいた。